40歳から語学飯!

語学でご飯が食べて行きたい人の奮闘記です!フランスで翻訳者をしながら、日英仏のトリリンガル語学スペシャリストを目指して勉強中です!TESOL公認英語チューター。

サプライズがいっぱい中国駐在ライフ(その3)

こんにちは~

 

その2の続きです!(その1はこちら)

 

さて、今回で中国ライフのお話は最終回としたいと思います(書こうと思ったらネタは底なしにあるのですが)

 

 

サービスって何?編

 

社会主義国、中国。対するサービス大国、ジャパン。

そりゃ~もう、ものっすごい違う訳なんです!!!!!

 

まず・・・・お昼時にショッピングに行くと、店員さん、店内でご飯食べてます(何故かラーメン系の汁物の率が高かった)

 

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↑こんな感じのオシャレなブティックでも、ですよ!!!!!!

 

お洋服を品定めしてる横で、ラーメンをずずずーーーーーっとすする音が聞こえる・・・

 

当時、中国ライフのストレスで6キロほど太ったわたくし( ̄∇ ̄*)ゞエヘヘ

 

気に入ったスーツがあり、店員さんに「もうちょっと大きめなのありますか?」って聞いたら・・・・

 

 

「この店にあなたのサイズはない」と不愛想に言い放たれる・・・( ꒪⌓꒪)

 

 

それから、ある日、先に任期を終え帰国することが決まったドクターに手土産を買おうとモール内のケーキ屋さんに行った時のこと。

 

その時、翌々日くらいにあげるお菓子を探していたので、並んだケーキの中から1番新しいものを奥の方から取ってレジに行くと・・・

 

 

店員さんに「古いのを買って」と言われる。

 

渡すのが2日後であることを説明し、古い賞味期限のものだと渡すときに切れてる可能性があることを説明するも却下。

 

結局そこでは何も買いませんでした。

 

 

偽物でも堂々と売る

北京に新しくできたおしゃれなモールがあったのですが、そこにはブランド物のバッグなんかも結構売ってありました。

 

が・・・・モールに入ってすぐの壁に・・・

 

 

「当店にあるブランド物のバッグは全て偽物です」と貼り紙がしてあり・・・

 

素直過ぎて逆に好印象(。→ˇ艸←)プククッ

 

 

それからDVD屋さんも大抵偽物(違法コピー)でした。

警察の点検が定期的に行われていて、その時にお店に行くと、不自然なほど品切れ中のお店続出(。→ˇ艸←)プククッ

↑いや、絶対バレてるやろ・・・

 

 

とにかく不便編

 

中国では(すべてのご自宅がそうかは不明ですが)自宅で使用する電気、ガスをプリペイドカードでチャージする仕組みでした。

 

ついウッカリチェックし忘れて、チャージしてないってなると、お風呂に入ってる途中に電気が切れて真っ暗闇・・・・という状況に陥るのです。(実話)

 

その時は夜でプリペイドカードを買いに行けなかったので、恐る恐るお隣(挨拶程度はしたことあった)に助けを求めることに。

 

隣には高級ホテルに勤めるオーストラリア人が住んでいたのですが、彼が大量にろうそくをくれて、その日はろうそくで乗り切りました。

その後仲良くなってホテルのパーティーに招待してもらったりして楽しかった。

 

それから、友人のカナダ人が「コンセントが壊れて、プラグをずっと持ってないと電化製品が使えない」状況に陥った時、修理を呼んだら・・・・

 

 

「使ってる間、プラグ持ってたらいいじゃん」って言って修理してくれなかった、とか・・・

 

そんなネタもあちこちから聞こえてきました。

 

1番悲惨だったんは、ドイツ人の友人が、中国に1度も行ったことないけど何故か好きになって、自国で中国の歴史と中国語の博士号を取得、その後始めて北京に赴任してきていたのですが・・・

 

 

「中国に来て初めて自分が中国と合わないって気がついた。でも、これしか勉強してこなかったから一生中国と関わらないといけないんだよね・・・」

 

今頃彼がどうしてるのか・・・気になるところです

 

 

スタッフが信用できない編

 

朝クリニックに行くとなくなってるPC・・・レジのお金・・・

中国人薬剤師の闇取引(クリニックに仕入れる海外の薬品を高額で売ってたとか、そんなような感じ)・・・

など、色々と自社のスタッフが信用できない問題も発生し・・・

 

最終的に表向き「会計」という役職の外国人スパイが雇われました。

 

 

続・命の危険編

 

ものすごいスピードで発展していた中国なので、工事もあちらこちらで行われていたのですが・・・

 

 

道路工事中、道路に大きな穴を空け、仕事を終えるて帰宅する時、目印とか置きますよね?

↑こういうやつとか、ライトで現場を照らして注意を促す、とか。

 

あれ、ないんですよね。

 

それで、夜中に穴に落ちてケガしてクリニックに運ばれてくる外国人が結構いました。

 

それから・・・残念なことにひき逃げもすごく多かったです。

なぜなら、外国人は治療費が高いって知ってるから。

 

急に経済発展し、大量に外国人が流れ込み、急に物価の高いオシャレなお店が増えても、やっぱり一般の中国人は貧しい生活を強いられてる人も多かった。

どんな思いで、私たち外国人を見ているんだろう・・・と常々考えていました。

 

高級マンションに住み、キレイな服を着て高級レストランで食事をする人がいれば、工事現場で泥と埃まみれのなか、お鍋のままご飯を食べる人もたくさんいた。

 

当時、中国の大都市の交通整理を職業にする人の平均寿命は50代前半だと新聞に載っていました。

ストレスと大気汚染によるものだそうです。

 

ものすごいスピードで発展していく影には、こうやって苦しい思いをしている人たちの存在があることを忘れてはいけないな、と思いました。

そして、忘れてはいけない、今は便利で暮らしやすい日本も、こういう人たちの頑張りがあったからあるのだということ。

 

 

もう、ネタは尽きないのですが・・・

最後に「ナゼ私が帰国を決意したのか」について。

 

 

驚くほど条件の良かったこの仕事。

恐らく、男性の管理職くらいのお給料をいただいていました。

 

でも、この非日常な生活に段々と精神的に疲れていき、ある時、一時帰国した際に見た自分の影風に乗ってきた草木の匂い・・・・

 

 

気が付いたら泣いていたんですよね。

 

 

中国では大気汚染がひどく、自分の影を見たり、自然と触れ合ったり(都会だったので)することが本当になかった。

 

きっと、自分が思っている以上に精神的にいっぱいいっぱいだったのだと思います。

 

 

 その時、辞めたいとイギリス人上司に伝えると、「理由は?もし解決できるものなら助けたいし、もし辞めるなら前向きな理由で辞めて欲しい」と言ってくれたのが本当に本当に心にささります。

 

外資のいいところって、本当に器の大きい上司との出会いが多いこと。

 

残何ながら日本の企業では、こういう器の方との出会いはありませんでした。

 

それは日本がまだまだ「会社に尽くす」社会だからではないでしょうか?

 

海外ではもっと個人が大事にされるように思います。

 

 

ちなみに・・・・当時同じく私の上司であった日本人医師からは、辞めると告げたその日から帰国日まで無視され続けたのでした。

 

 

色々あった中国ライフ。

 

また行きたいか?と聞かれたら、答えは120%「ノー」ですが、ここで学んだこと、出会った上司、仲間、経験は一生の宝物、そう思っています。